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「……それで、『松和荘』を紹介したと」
 町内会の会議から戻ってきた社長は、エアコン直下に立ってしきりと団扇を動かしながら、器用に肩をすくめてみせた。
「大丈夫だったのかい?」
「ええ。最初は冗談だと思ったようですけど、実際に内見してもらったら、うまいこと意気投合したみたいで」
 地場の不動産屋は地域住民との繋がりが深い。今回紹介した幽霊つきシェアハウス『松和荘』も、先々代からの付き合いだ。
「あそこは大家との直接契約だから、うちの儲けにならないし、そもそも定休日に店を開けないでいいって言ってるのに」
 ポロシャツにハーフパンツというラフな格好で、やれやれと首を振る社長。
 そう、『芥不動産』は不動産業界の慣習に倣い、水曜日が定休日。社長は町内会の会議(という名の懇談会)に出向いていたものの、社員もパートものびのびと平日休みを満喫している。
 つまり、水曜日にやってきた不運な彼は、本来ならシャッターが降りた店の前で嘆息し、すごすごと肩を落として帰っていくしかないはずだった。
「すいません。困った人を見ると放っておけない性質(たち)でして」
 そう、これは点数稼ぎでも何でもない。単に、そういう性分なだけ。
「神様にも定休日は必要だと思うんだよ」
 呆れたと言わんばかりの社長に、澄まし顔で反論する。
「何を仰る。神仏は年中無休がモットーなんですよ」
 盆暮れ正月返上なのは、寺社仏閣に祀られるような、由緒正しい神仏だけではない。
 そう、それが名もなき道祖神であったとしても同じことだ。
「道端さんがそれでいいなら構わないんだけどさ。今回みたいに、直接うちの利益にならなくても、そのお客さんが知り合いを紹介してくれたり、口コミで店の情報を広めてくれれば、うちの評判も上がるし。でもねえ、それじゃ道端さん、タダ働きになっちゃうでしょ」
 としきりに首を振る社長は、十年以上前から同じ小言を繰り返している。いや――これは代々受け継がれたお家芸みたいなものか。
 なにせ、芥不動産の経営者は、代々お人好しなのだ。

 長年の風雪に削られ、苔むし、打ち捨てられ――由来どころか存在すら忘れられて、道端に放置されていた道祖神を見つけ、綺麗に磨き上げて祀った初代。
 区画整理で移動させられそうになったところを、地主や自治体と交渉して元の場所に留めた二代目。
 地域一帯の再開発で廃棄処分になりかけたところを、デベロッパーと交渉して何とか残せるよう尽力し、工事終了まで自社敷地内への仮住まいを快諾した三代目。
 そして、店先の植え込みに安置された道祖神に、よく分かっていないなりに、散歩の途中で摘んできた野花や自身が苦手とするおやつを供え、くすぐったそうに笑っていたやんちゃ坊主こそが、目の前にいる四代目だ。
 こうして再び見出された名もなき神は、再開発終了後、商業ビルの敷地内に設けられた公開空地の片隅に安置され、小さな案内看板まで立ててもらって、地域住民から『道端の神様』と親しまれるまでになった。
 路傍の石として打ち捨てられそうになった石塊(いしくれ)が、再び神格を取り戻したのだ。
 だからこれは、ささやかな恩返し。
 愛しい人間たちへの、恩返しだ。

 ……といっても、せいぜい社員がいない間の留守番や電話番、繁忙期で人手が足りない時の助っ人くらいしか出来ないが、それでも芥不動産の面々は、時折ふらりと現れて茶を啜っていく『社員でもないのにやたら内部事情に詳しく、地元の地理・歴史どころか最新情報や些細な噂にも精通している謎の青年』を受け入れ、歓迎し、時にはこうして心配までしてくれる。
「好きでやっていることですから、気になさらず」
「そうは言っても、お給料も出せないしさあ」
 このやり取りも、何回繰り返されたことか。『タダより高いものはない』が口癖の四代目にとって、この『ささやかな恩返し』を素直に受け取るのは、未だに抵抗があるらしい。なので、こちらもいつものノリで代替案を繰り出す。
「そうそう、つるかめ堂さんのフルーツ生大福、先週から出している限定味はスイカらしいですよ」
 報酬は受け取れずとも、『お供え』ならば問題ない。それが、幼い頃からお供えを欠かさなかった『四代目』との、暗黙のルール。
「えー。あれ数量限定だから、なかなか買えないんだけどなあ」
 ぶつぶつと文句を言いながらも、裏紙で作ったメモ用紙に『スイカ大福』と走り書きする社長。ついでに自分の好物も書き足しているところを見ると、明日にでも社員に買いに行かせるつもりなのだろう。
 話がまとまったところで、それじゃ、と席を立つ。
「僕はこの辺で失礼しますね」
 これでもそれなりに忙しい身なのだ。日々パトロールをして、不審者や不穏な現象に目を光らせつつ、そろそろ出回り始める秋の新作スイーツをチェックするという、重要な仕事が待っている。
「はい、お疲れさん。いつもありがとね。うちが何とか潰れずやっていけてるのは、どう考えても道端さんのおかげだからねえ」
 なむなむ、と拝む仕草をする社長。神仏混合も甚だしいけれど、そんな些細なことは気にしない。
「僕、商売繁盛は管轄外なんですけどねえ」
 もっとも、人や土地との縁を結ぶ不動産屋と、地域の守り神である道祖神は、きっと相性が良かったのだろう。
 人がいるからこそ神が生まれ、人が暮らすからこそ境界線が生まれる。
 辻を守るもの。転じて、縁を結ぶもの。
 きっと僕らは、同じ役目を果たしているのだ。
「ま、こういうのは持ちつ持たれつ、だからね」
「ええ、そういうことです」
 事務員さんがこっそり作ってくれた肩書きのない社員証をポケットにしまい、入口の看板をひっくり返す。
「それじゃ、お疲れ様でーす」
「はい、お疲れ様。雨が降りそうだから、気をつけて帰んなさいよ、道端さん」
「はーい」


 僕はもう、『名もなき神』ではない。
 『芥不動産の道端さん』。
 それが僕の――大切な名前であり、在り方だ。

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© 2023 seeds/小田島静流