そろそろ蝶番に油を差さないと、などと思案しつつ、ほどなくして居間にやってきたこの家の主に声をかけようとして、そのどんよりとした気配に目を瞬かせる。
「おかえりなさい、ラウルさん」
それでも律儀にそう呼びかければ、やけに疲れた顔のラウルはおお、とだけ答えて、食卓に積まれた大量の野菜に突っ込みを入れることもなく長椅子に体を投げ出すと、何やら考え込んでしまったではないか。
「……どうかしました?」
さすがに心配になって尋ねてみると、ラウルはうーんと首を傾げ、おもむろに口を開いた。
「俺――なんかしたか?」
「はあ?」
「見られてるんだよ」
エスタスに倣ってじゃがいもの皮を剥きながら、ラウルは歯切れの悪い口調で話し始めた。
視線に気づいたのは、半月ほど前だった。物陰からちらちらとこちらを窺う人影に気づいて、声をかけようとしたらそそくさとどこかへ行ってしまった。
最初は、単に気のせいだと思った。何しろこのエストに来て、まだ四月ほどしか経っていない。まだ物珍しさも残っているだろうし、先日の夏祭で異様に注目を集めてしまったのも事実だ。
だからその視線もそういう類のものかと思ったのだが――。
「一人じゃないんだ。複数――ってか、この村の女性陣ほとんどか? ってくらい、会う
それだけではない。
往診に行けば、タマラ婆さんにどちらが診察しているのか分からないほどあちこち触りまくられ。
道端で出会った”鶏おばさん”ことニコラと、食料品店の”肝っ玉母さん”グレイスには、帝都の流行を教えてよ、などと長話をしながら、何故か身長体重から食べ物の好みまで、多岐に渡って質問され。
畑の手伝いを終えて昼食をご馳走になれば、一年前に隣村から嫁いできた若奥さんのリアから、些か不自然にお茶をこぼされて着替えを勧められ。
雑貨屋に品物を受け取りに行けば、奥さんのサフィアと一人娘キャシーの二人から凝視された挙句に、旦那に凄まれて退散する羽目になり。
「しまいには、村長のところのカリーナさんにまで捕まって、なんか村長との馴れ初めを聞かされてよ。その間中、ずーっとにこにこしてるんだけど、さりげなく見られてるんだよ」
しかも、決まってその連れ添いか、周囲の男性陣に睨まれる羽目になるのだから、たまったものではない。
「村長とかマリオに聞いてもはぐらかされるし……。お前なら何か知ってるんじゃないかと思ったんだが」
切実な目で訴えられて、しかしエスタスは首を傾げることしか出来なかった。
「いやー、俺にも見当がつきませんね」
都にいた頃は名うての女たらしだったというラウルだが、そのせいで左遷されたのがよほど堪えたのだろう。この村では『模範的な神官』という猫を被り続けている。その謙虚さが逆に受けているのはちょっとした誤算だったようだが、そのことで女性陣から不躾なまでにじろじろ見られたり、妙な態度を取られる謂れはないだろう。
「うーん……。やっぱり、夏祭の時のラウルさんがかっこよかったから、みんなのぼせ上がってるだけなんじゃ?」
持ち上げるつもりもなくそう言えば、ラウルもさらりと褒め言葉を受け流して答えた。
「いや、そういうのならまだ分かるんだけどよ」
都では秋波を送られることなどしょっちゅうだった。そのあしらいにも慣れているつもりだ。だからこそ感じ取れる違和感。そう、あれは――。
「何つーか、こう……品定めをしてるような――とにかく色恋事抜きの目だ」
断言できる、ときっぱり言ってのけるラウルに、はははと乾いた笑いで答えながら、エスタスは剥き終わったじゃがいもを籠に放り込んだ。
「まあ、実害ないなら放っておいてもいいんじゃないですか? 女性陣から見つめられっぱなしなんて、もてないヤツから見れば羨ましすぎる状況でしょ」
「そう思うなら一日でいいから代わってくれ」
深い溜息をついてみせて、そこでようやくラウルは食卓の上の野菜達に怪訝な目を向けた。
「……で、この野菜の山はなんだよ」
「カイトがもらってきたんですよ。ほら、青空教室をやってるでしょう? 授業料なんていらないって言ってるんですが、今年は野菜が大豊作らしくて……」
いつもはレオーナに引き取ってもらって食事の材料にしてもらっているのだが、今年は余りにも多かったのでこちらに持ってきたというわけだ。
「そうだ、宿に帰ったらレオーナさんかトルテ辺りに、さり気なく聞いておきますよ」
「答えてくれりゃいいんだがな」
やれやれ、と肩をすくめ、そうして二人は大量の野菜を本日の夕飯に仕立て上げるべく、皮むき作業に勤しんだのだった。
そして、翌日――。
「伝言」
朝一番にやってきたアイシャは、いつも通り無表情な顔で、しかし伝言の内容を正確無比に伝えてくれた。
「『今日のお昼にみんなで行くから待っててね♪』。以上」
そのまま踵を返そうとするアイシャの腕をはっしと掴み、待て待て、と引き止める。
「主語が抜けてるぞ。誰からの伝言だ」
「『見果てぬ希望亭』の女将から」
「みんなって誰だ!?」
「さあ?」
本気で知らない風のアイシャにがっくりと肩を落とし、そうか、と呟くラウル。
「無駄だと思うが一応聞いておくぞ。この村の女性陣は何を企んでる!?」
「楽しいこと?」
疑問形で返されても困る、と頭を抱えているうちに、アイシャは用は済んだとばかりに帰っていってしまい、小屋には朝から胃が痛いラウルと、物言わぬ卵が残されたのであった。
そして。
昼の二刻を告げる鐘の音と共に、彼女らはやってきた。
「お邪魔しまーすー!!」
「はーい、ごめんなさいねー」
「あらあら、男所帯の割に片付いてるのね」
「おいしそうな匂いがしてるわねえ~」
「わっ、押さないでったらもう」
狭い小屋に雪崩れこんで来た女性陣に圧倒され、あっという間に壁際に追いやられるラウル。
名うての女誑しも、数で押されるとさすがに打つ手がなかった。
それもそのはず、小屋に集まったのはエストだけではなく、近隣の村からも集まった女性陣、約三十名。
上は八十過ぎから下は十二まで、選り取りみどりの『美女』達は、たじたじのラウルを取り囲むと、「せーの」の掛け声と共に手にしていたものを突き出した。
「?? ――これは……服、ですか?」
彼女達が手にしていたのは、紙に描かれた様々な男性用衣服の絵。それが誰のためのものであるのかは、言わずもがなだ。
目を白黒させているラウルに、女性陣は一斉に口を開く。
「だってラウルさんたら、いつもその神官衣ばっかりなんだもの」
「畑仕事もそれでなさってるでしょう? 洗濯も大変だろうし、黒だと汚れも目立つしねえ」
「だから、みんなで服を縫ってあげようって話になってぇ」
「じゃあどんなのにする? っていう話になったら、意見がまとまらなくってね」
「折角かっこいいんだから、かっこいい服着ましょうよ!」
「あ、あの、私は余計なお世話だからやめましょうよって止めたんですけど……」
「何言ってんのよ、あんたが一番派手なの描いてきてるじゃないの!」
「うちの旦那なんかお腹出ちゃってるし、作り甲斐がなくてねえ。その点神官さんならなんでも似合いそうだし」
「「「で、どれがいい?」」」
見事に重なった声に、ラウルはがくり、と肩を落とした。
「あ、あのですね、皆さんのご好意は大変嬉しいのですが、これでも神官の端くれですので――」
「神官は神官衣しか着ちゃいけない、なんて決まりがないことは、おじいちゃまやカイトさんに確認済みですっ」
エリナにびし、と機先を制されて、ぐっと詰まるラウル。
余計なことを、と内心で絶叫しつつ、どうにか心を静めて、集まった女性陣を見回す。
「ええと、その……」
「選んでくれないなら、勝手に決めちゃうわよ?」
レオーナの一言で、もう逃げ道がないことを悟り、やれやれとラウルは腹を括った。
「ありがとうございます」
では、と改めて絵を見れば、出てくるのは夏祭の衣装のような派手なものばかり。
「あの……せめて、もう少し大人しい意匠のものは……」
「んもう、まだ若いんだから、そんな保守的なこと言っちゃ駄目よ!」
「そうそう、折角いい素材なんだから、飾り立てなきゃ勿体ないってもんだよ」
「いや、しかし、それでは仕事になりませんし……」
「大体、この神官衣がまず時代錯誤なのよね。ゲルク様くらい年配の方ならこれでいいだろうけど、若い子にはもっとこう……」
「折角だから、髪型も変えてみませんか? こう、もっと上の方で一つで括ってみるとか」
「髪結いなら任せんさい。ふぉっふぉ、腕が鳴るのう~」
「あ、あの、人をおもちゃにしようとしてませんか!?」
「そおんなこと、ないわよお? ねえみんな?」
「もっちろん!」
「絶対、遊んでるよな、あの人達」
「ですね」
そんな様子を窓越しに覗き見ながら、エスタスとカイトはやれやれ、と肩をすくめた。
「助けなくっていいんですかね?」
「迂闊に出て行ってみろ。今度はこっちが標的にされるぞ」
アイシャに伝言の件を聞いて、野次馬に来てみればこの騒ぎだ。心配して損をしたと言うべきか、ご愁傷様と言うべきかは判断に苦しむところだが、まあ揉め事の種ではなかったのだから、良かったよかったと笑い飛ばす辺りが妥当だろう。
「そういや、俺達がここに来たばっかりの頃、アイシャも似たような目に合ってたなあ」
しみじみと呟くエスタスに、カイトもそうでしたねえ、と相槌を打つ。
この辺りでは珍しい褐色の肌に、女性陣の創作意欲が激しく刺激されたのか、最初の夏祭には随分と派手な衣装を着せられていたアイシャ。意外に付き合いのいい彼女は黙って着せ替え人形になっていたが、ラウルの場合はそうもいくまい。
「ま、あれだけの女性に囲まれてるんだから、女好きとしては本望かもしれませんね」
適当なことを言って笑っているカイトに苦笑いを返し、そしてエスタスはふと、もう一人の仲間の姿を探して辺りを見回した。
「アイシャ?」
さっきまで一緒に騒ぎを覗いていた少女が、いつの間にやらどこかに消えている。
「あ、いたいた。あんなところに」
見れば、少し離れたところにしゃがみこんで、木の棒で地面をガリガリ削っているアイシャの姿があった。
「何書いてるん――ぶっ」
「え、どうしたんですエスタ――わはっ、こ、これ……!!」
「きっと、似合う」
えっへんと胸を張るアイシャ。その芸術的なまでにへたくそな絵と、それをさっぴいてあまりある奇抜な意匠――裸に腰蓑――に、二人は揃って口を押さえると、続いて我先にと小屋の中に飛び込んだ。
「ラウルさん! アイシャの描いたヤツも見てやって下さいよ!」
「ほら、こっちこっち!」
ほどなくして、二人に引きずられたラウルが地面に描かれた絵を見て絶叫し、それを聞いた女性陣がわらわらとやってきて大爆笑し――。
そうして、晩夏の丘は賑やかな笑い声で彩られたのだった。